高校生から約20年。ヤングケアラーだった私が経験した現実【前編】

生活

「ヤングケアラー」という言葉を知ったのは、大人になってからでした。

ニュースで見かけるようになって、「あれ、自分もそうだったのかな」と思ったのを覚えています。

でも当時は、そんな言葉は知りませんでした。

家族だからやるしかない。

それが当たり前だと思っていました。

高校生の時に始まった介護

高校生の時、母が脳梗塞で倒れたことが始まりでした。

幸い命に関わることはありませんでしたが、後遺症が残り、自分のことはある程度できても一人で家事をこなすのは難しい状態でした。

その頃から、通院の付き添いや家事をできるだけ私が担当するようになりました。

高校生活を送りながら、家では介護や家事をする毎日です。

仕事と介護の両立

卒業後は働き始めましたが、母の脳梗塞が再発。

ほぼ車椅子生活になり、本格的に介護サービスを利用することになりました。

デイサービスなども利用していましたが、それで負担がなくなるわけではありません。

在宅介護は、家にいる時間すべてが介護につながります。

仕事との両立も難しくなり、正社員では続けられずパートとして働くことを選びました。

弟は卒業後すぐに結婚して家を出ました。

高校生の頃から介護を担っていた私が、そのまま介護を続ける流れになりました。

母の介護をどうするのか、家族で真剣に話し合った記憶はほとんどありません。

もちろん、私の将来について話し合われることもありませんでした。

家を出ようと思ったこともあった

一度、家を出ようと思ったことがあります。

でも母に泣いて引き止められ、「地元で仕事を探せばいい」と言われました。

その時は、それ以上何も言えませんでした。

今思えば、あの時に家を出るという選択もあったのかもしれません。

でも当時の私には、「介護をしない」という選択肢はありませんでした。

寝たきり生活と胃瘻(いろう)

その後、母は歯の治療をきっかけに認知症を発症します。

さらに別の脳の病気も重なり、寝たきりになりました。

父の希望で胃瘻(いろう)を選択し、それから約10年間、胃瘻で栄養や水分を摂る生活が続きました。

※胃瘻(いろう)とは、お腹に作った穴から管を通し、栄養や水分を摂る方法です。

入浴は訪問入浴サービスを利用し、訪問看護師さんにも定期的に来てもらっていました。

介護サービスは利用していました。

それでも在宅介護である以上、家族の負担がなくなることはありません。

仕事へ行き、家に帰れば介護と家事。

毎日がその繰り返しでした。

毎日を乗り切るだけの日々

「将来はどうしよう。」

そんなことを考える余裕はありません。

その日を乗り切ることだけで精一杯でした。

年に一度だけ、大好きなバンドのライブへ行くこと。

それが当時の私にとって数少ない楽しみでした。

恋愛をしていた時期もあります。

でも仕事、介護、家事がある生活では、一緒に過ごす時間を作ること自体が難しく、介護への理解を得られないことも多く、長く続くことはありませんでした。

約20年。

軽度の頃から数えると、それだけの時間を介護とともに過ごしてきました。

後編では、介護を終えた時に感じたこと、そして今だから伝えたい「介護をしない」という選択について書こうと思います。

ヤングケアラーだった私が、介護を終えて今思うこと【後編】

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